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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)8859号 判決 1971年8月23日

原告

桑田博

原告

今川八朶

原告ら訴訟代理人

鈴木紀男

被告

学校法人国士館

代表者

柴田徳次郎

代理人

菅原裕

外二名

主文

1  原告らが被告に対し雇傭契約上の権利を有することを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実《省略》

理由

第一雇傭関係の成立と争いの存在

原告桑田が国士館高校の数学科担当の教諭として、原告今川が同高校の社会科担当の教諭として、いずれも昭和四〇年被告に雇傭されたこと、被告が原告らを同年一一月二六日解雇したと称して原告らとの雇傭関係の存在を争つていることは、当事者間に争いがない。

第二解雇の意思表示の存在

被告が昭和四〇年一一月二六日原告らに対し解雇の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。

第三解雇の意思表示の効力――解雇権濫用の成否

原告らは、本件解雇の意思表示は解雇権の濫用であり無効であると主張し、被告はこれを争うので、以下において右の点について判断する。

一解雇理由たる事実の存否

被告は、解雇理由として、原告らには国士館高校の教諭として不適格な行為があつたと種々主張するので、まず右事実の存否について検討する。

(一)  原告桑田関係

1 欠勤・遅刻

(1) 国士館高校においては、教諭が欠勤する場合、あらかじめ書面または口頭で届出をし、しかも、口頭による届出の方法によつたときには、事後に書面による届出をするものと定められていることは、原告らの明らかに争わないところであるから、これを自白したものとみなす。

(2) 原告桑田が被告主張の一三日間の欠勤をしたことは、当事者間に争いがない。

しかしながら、<証拠>によれば、同原告は右欠勤に際し事前に電話で小松数学科教科主任あるいは山本教頭にその旨を連絡していたことが認められ、<証拠判断省略>。ことに、高等学校の教員が事前の届出なく欠勤した場合には、被告主張のように、学校としては当該教員が当日はたして登校するのか否かを授業開始時刻まで知りえないため、代講者の手配および生徒の学習等について有効な措置をとりえないという学校教育上はなはだ好ましくない事態を招来するのであるから、もし原告桑田が被告の主張するように右一三日の欠勤日を一度の事前届出もなく欠勤したとするならば、その点につき被告から同原告になんらかの注意があつてしかるべきだと思われるのに、そのような注意があつたことを認めるに足りる証拠がないこと(国士館高校の校長代理を勤めていた証人高杉は、その証言中において、右直接の注意を与えなかつたのは右原告の名誉を重んじたからである旨弁解するが、いかに名誉を重んずるにしても、事前の届出のない欠勤が学校教育に及ぼす影響の重大性を思えば、約八カ月にわたり一三回に及ぶ事前届出のない欠勤がありながら、その間なんらの注意を与えないで放置するということはいかにも納得しがたく、右弁解は信用できず、また、証人高杉善治、同斎藤昭夫は、右高校において毎朝行なわれる職員朝礼の席上折りにふれ高杉校長代理等から一般的な注意として欠勤する場合の事前届出の励行などについて注意を与えていた旨証言するが、右証言も証人安藤俊哉の証言に照らしにわかに措信できない。)にかんがみると、前示のとおり原告桑田の欠勤には事前の電話による届出があつたものと認めるのが相当である。<証拠判断省略>。

つぎに、原告桑田の右一三日の欠勤日のうち、昭和四〇年四月二九日、同年五月三日、同月四日および同年七月八日の四日については書面による届出のなされていることが<証拠>によつて認められるが、その余の欠勤日については事前・事後を問わず書面による届出のなされたことを認めるに足りる証拠がない。

(3) <証拠>によれば、原告桑田が昭和四〇年九月一三日、同月一四日、同月一七日、同年一〇月一日、同月四日、同月一二日、同月一八日、同年一一月一二日および同月一九日の九回にわたり遅刻したことが認められる。

そして<証拠>によれば、右遅刻の理由は同原告が当時通勤に利用していた東上線の電車の遅延によるものであり、その遅刻もほとんどが五分ないし一〇分程度のものであり、長くとも三〇分をこえることはなかつたこと、遅刻の理由が右のようなものであつたことから、その事前届出は事実上不能で、同原告が事前の届出をしたことはなかつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2 タイムレコーダー無打刻

(1) <証拠>によれば、国士館高校においては、教諭は登下校時にタイムレコーダーによりタイムカードにそれぞれ打刻する定めになつていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) 原告桑田がその雇傭期間中登下校に際しただの一度もタイムレコーダーの打刻をしなかつたことは、当事者間に争いがない。

3 服装規律違反

(1) <証拠>によれば、国士館高校においては、その全生徒に制服・制帽を着用させていたことから、教諭にも生徒の範となるような端正な服装をさせることとし、被告の定めた制服を着用する場合のほかは、登下校時および勤務中とも、背広上下白ワイシャツを着用し、ネクタイを締め、靴をはく(ただし、夏期は背広上衣を脱いでもよい。)よう指示していたことが認められ、<証拠判断省略>。

原告桑田が在職中大体において色ワイシャツを着用し、ネクタイを締めなかつたことは、同原告の自認するころであるが、被告の主張するように同原告が終始右のような服装であつたとまで認定するに足りる証拠はない。

また、原告桑田が校内で上ばき用のサンダルをはいていたことも同原告の自認するところであるが、同原告が登下校に際してもサンダルばきであつたと認めるに足りる証拠はない。かえつて、<証拠>によれば、同原告は登下校時には靴をはき、校内において上ばき用のサンダルにはきかえていたことが認められる。

(2) 前記認定のように、国士館高校においては、全生徒に制服・制帽を着用させることとしていたところ、<証拠>によれば、クラス担任の教諭はそのクラスの生徒の服装検査を行ない、右規律に違反しないよう指導する義務のあつたことが認められる。

しかし、原告桑田が被告の主張するように右服装検査を行なわなかつたと認めるに足りる証拠はない。かえつて、<証拠>によれば、同原告がその担任するクラスの生徒について十分に服装検査を行ない、服装規律に違反しないよう指導していたことが認められる。

4 授業進度表不提出

(1) <証拠>を総合すると、国士館高校においては、各教諭は、毎学年の初めに一年の計画を、各学期の初めにその学期の計画を各記載した授業進度表を各教科主任・斎藤教務主任・山本教頭・高杉校長代理を順次経て、最終的に校長に提出する定めになつていたことが認められる。

右授業進度表には、教科書に基づき、一年間の授業時間数、各学期に行なわれる授業の内容・その時間数・進行度合等を記入することになつていたこと、教務主任が各教諭から提出された授業進度表の内容を点検し、不適当と認めたときは教科主任および担当教諭と協議のうえ適宜修正することは、当事者間に争いがない。そして、<証拠>によれば、授業進度表作成の目的はこれによつて教育の効果を十分に発揮するためであることが認められる。

(2) <証拠>によれば、同原告はその担当する数学科の小松教科主任と相談のうえ、一年の計画と第一学期の計画を記載した授業進度表を昭和四〇年四月ころ、第二学期の計画を記載した授業進度表を同年九月ころそれぞれ作成して右小松教科主任に提出したことが認められる。被告は、原告桑田が授業進度表を一回も提出せず、その未提出を心配した小松教科主任から案を示され、それを写して提出するよう勧められたにもかかわらず、なお提出しなかつた旨主張し、<証拠判断省略>、また、本訴の前に提起された本件原告らと被告間の当庁昭和四一年第二、二〇四号地位保全仮処分申請事件において、被告は、当初原告桑田・同今川の双方につき解雇理由の一つとして授業進度表の不提出を主張していたが、その後原告今川についてはその提出にかかる授業進度表が発見されたとして右主張を撤回した経緯(このことは、<証拠>によつて認められる。)をあわせ考えると、にわかに措信しがたいものがある。他に前記認定事実を左右するに足りる証拠はない。

(二)  原告今川関係

1 無届欠勤

(1) 国士館高校においては、教諭が欠勤する場合、あらかじめ書面または口頭で届出をし、しかも、口頭による届出の方法によつたときには、事後に書面による届出をする定めになつていたことは、原告桑田の項で認定のとおりである。

(2) 原告今川が被告主張の昭和四〇年五月一日、同月三日および同月四日の計三日間の欠勤をしたことは、当事者間に争いがない。

しかしながら、<証拠>によれば、同原告は、郷里新潟において亡父の二三回忌法要を営む目的で昭和四〇年五月一日から同月五日まで帰郷し、そのため前記三日間の欠勤をしたものであり、しかも、右欠勤に際しては、あらかじめ同年四月三〇日書面で山本教頭に対し、また、口頭で荒川社会科教科主任に対しそれぞれ届出をしたことが認められ、<証拠判断省略>。

2 下校時刻前の下校

(1) <証拠>によれば、国士館高校においては、教諭の下校時刻を一応午後四時と定めていたことが認められ、<証拠判断省略>。

(2) <証拠>を総合すると、同原告は、昭和四〇年四月被告に雇傭されてから同年一一月二六日解雇されるまでの間、大体において当日の授業その他の校務をすべて終了すれば午後四時を待たずに下校していたこと、その下校時刻はおおよそ午後三時半から同四時の間になることが多かつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

3 下校時のタイムレコーダー無打刻

(1) 国士館高校においては、教諭は、下校時にもタイムレコーダーによりタイムカードに打刻する定めであつたことは、原告桑田の項で認定のとおりである。

(2) <証拠>によれば、原告今川が被告に勤務した約八カ月のうち、下校時にタイムレコーダーに打刻したのは、昭和四〇年四月三日、同年一〇月二二日および同月二五日から三〇日までのわずか八日間にすぎないことが認められ、<証拠判断省略>。

二被告主張の解雇理由の解雇理由としての相当性

右一認定の事実に基づき、被告主張の解雇理由の解雇理由としての相当性について検討する。

(一)  原告桑田関係

1 欠勤について

(1) 原告桑田が一三日間の欠勤をしたことは被告主張のとおりであるが、それにはいずれも事前の電話にるよ届出があつた。したがつて、事前の届出がなかつたことおよびそのため教育上重大な影響を生じた旨の被告主張は理由がない。

(2) 原告桑田が右一三日間の欠勤日中書面による届出をしたのが四日間だけで、残りの九日間についてこれを怠つたことは、たしかに雇傭契約上の義務不履行であるといわねばならない。

しかしながら、<証拠>を総合すれば、国士館高校においては、当時、教諭の欠勤の場合の事前あるいは事後の書面による届出は必ずしも厳格に励行されていなかつたことが認められ(証拠判断省略)、また、後記のようにその点について被告がなんらかの注意を与えていたと認むべき証拠のないことにかんがみれば、右義務不履行はさほど重大なものとはいえない。

(3) また、<証拠>によれば、昭和四〇年四月から同年一一月二六日までの間国士館高校に在職していた教諭数は約七〇名で、このうち欠勤したことのある者は五〇名余、一三日以上欠勤した者は原告桑田を除いて一〇名いたこと、右一三日以上の欠勤者一〇名は原告桑田が解雇されたのちも右高校に在職しつづけ、もつとも早く退職した者ですらその後四か月余り在職していたことが認められ、<証拠判断省略)。

そうとすれば、原告桑田の欠勤一三日というのは同僚中でも多い方に属するといわねばならないが、同原告よりも欠勤日数の多い者たちが同原告の解雇後もなお解雇されることなく在職していた事実ならびに後記のとおり被告が教諭の欠勤についてなんらかの注意をしていたと認むべき証拠のない事実に徴すれば、被告が教諭の欠勤について格別厳格な態度をとつていたともいえないから、欠勤日数の多いことが原告桑田解雇の重要な理由であるとは認めがたい。

2 遅刻について

(1) 原告桑田が計九回の無届遅刻をしたことは、被告主張のとおりである。

しかし、右無届遅刻が、前記認定のとおり事前届出の事実上不可能な通勤電車の遅延によるものであつてみれば、好ましいものではないにしても、それを取り上げて解雇理由としなけれならないほどのものとは考えられない。

(2) ことに、原告桑田の遅刻の程度がほとんど五分ないし一〇分程度のもので、長くても三〇分をこえるものではなかつたところ、<証拠>によれば、国士館高校における教諭の登校時刻は、被告の代表者であり右高校の校長をも兼ねている柴田徳次郎が教諭朝礼に出席する月曜日が午前七時四〇分、その余の火曜日から土曜日までが午前七時五〇分であつたこと、そして、月曜日は午前七時四〇分から、火曜日から土曜日までは午前七時五〇分から、いずれも午前八時まで教諭朝礼があり、その後午前八時から各クラスで担任教諭出席のもとにホームルームがあり、午前八時二〇分から授業が開始されたこと、原告桑田は、前記のようにその遅刻の程度がほとんど五分ないし一〇分ほどで、長くても三〇分をこえるものではなかつたことから、遅刻しても、ほとんどホームルームには間に合い、これに遅れたことは一、二回を数えるのみで、授業開始に遅れたことはなかつたことが認められるから、右原告の遅刻が未成年の生徒に及ぼす教育上の悪影響もさしたるものではなかつたというべきである。

(3) もつとも、<証拠>によれば、昭和四〇年四月から同年一一月二六日までの間国士館高校に在職していた教諭約七〇名のうち、遅刻したことのある者は三〇名余、九回以上遅刻した者は原告桑田を除いて八名であること、右九回以上の遅刻をした者八名は右原告が解雇されたのちも右高校に在職しつづけ、もつとも早く退職した者ですらその後四か月余り在職していたことが認められるから、同原告の遅刻九回というのは同僚中でも多い方に属することは明らかであるが、前述のような遅刻の理由およびその教育上に及ぼした影響の程度、ならびに、同原告より遅刻の回数の多い者たちが同原告の解雇後もなお解雇されることなく在職し、かつ、後記のように被告が教諭の遅刻についてなんらかの注意をしていたと認むべき証拠のない事実に徴し、被告が教諭の遅刻について厳格な態度をとつていたとみられないことにかんがみ、遅刻回数の多いことは、原告桑田の解雇理由としてそれほど重要とは思われない。

3 タイムレコーダー無打刻について

(1) 原告桑田がタイムレコーダーに一度も打刻しなかつたことは、それだけを取り上げれば、たしかに重大な義務不履行というべきである。

(2) しかしながら、<証拠>を総合すると、国士館高校においては、タイムレコーダーのほかに出勤舞が備えられていて、教諭は、登校時に、タイムレコーダーを打刻するほか、必ず出勤簿に押印する定めになつていたこと、教諭の出勤状況の点検は出勤簿によつて行なわれ、タイムレコーダーは外部から教諭に電話がかかつてきた場合に当該教諭がまだ在校しているか、あるいは、すでに下校しているかを確認するために利用する程度であつたこと、そのためか、登下校時にタイムレコーダーを打刻する定めになつているにもかかわらず、被告は新たに雇傭した教諭についてその教諭から請求されるまで相当長期にわたつてタイムカードを備えつけなかつたり、また、教諭の側でも、忠実にタイムレコーダーを打刻する者がいる一方で、必ずしもそうでなかつた者もかなりいたことが認められる。また、後記のとおり、被告がタイムレコーダーの打刻を励行するよう注意していたと認むべき証拠もない。

右のようなタイムレコーダーの用途・性格ならびに被告がその打刻に厳格でなかつたことにかんがみれば、原告桑田のタイムレコーダー無打刻が解雇理由に取り上げられるほど重大な義務不履行というべきか疑問なきをえない。

4 服装規律違反について

(1) 原告桑田が色ワイシャツを着用し、ネクタイを締めず、かつ、校内でサンダルをはいていたことは、一応雇傭契約上の義務不履行である。

しかしながら、<証拠>を総合すると、国士館高校においては、教諭は背広上下に白ワイシャツを着用し、ネクタイを締め、靴をはくという定めにもかかわらず、右定めに従わず、色ワイシャツを着用し、ネクタイを締めない者が若干おり、また、登校後上ばき用のサンダルにはきかえる者が相当数いたこと、右の傾向は原告桑田の解雇後も格別改まらず、たとえば、右高校の重要な公式行事である昭和四一年三月末ころの卒業式の記念写真撮影の際にも、被告代表者兼右高校校長の柴田徳次郎が同席しているにもかかわらず、なお色ワイシャツにノーネクタイ姿の者が若干いたことが認められ、<証拠判断省略>。また、後記のとおり、被告が右のような規律違反についてとくに注意をしていたと認むべき証拠もない。

以上のような国士館高校内における服装規律運用の実情にかんがみると、原告桑田の前記のような右規律違反はいまだこれを解雇理由とするに価いしないものというべきである。

(2) 生徒の服装検査義務違反の件は、原告桑田が右服装検査を行なつていたことが明らかであるから、解雇理由とはなりえない。

5 授業進度表不提出について

授業進度表不提出の件も、原告桑田は右進度表を提出していたものと認められるから、解雇理由とはなりえない。

6 まとめ

以上のとおりであるから、生徒の服装検査を怠つた点および授業進度表不提出の点はいずれもまつたく解雇理由とはなりえず、その余の点も、その一つ一つはもちろん、これらを総合しても解雇理由としてはきわめて薄弱であるといわなくてはならない。

被告は、原告桑田に対し直接、あるいは、教諭朝礼の席上、原告桑田の出席しているなかで、欠勤等の場合の届出、タイムレコーダーの打刻、服装の端正等についてしばしば注意を与えたにもかかわらず、右原告はこれに従わなかつた旨強調し、<証拠>中に一部これにそう部分もあるが、<証拠>に照らし、いずれもにわかに措信しがたく、他に右被告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

このようにみてくると、被告の主張するきわめて薄弱な解雇理由は、これに籍口し、真の解雇理由を隠ぺいするための口実にすぎないのではないかとの疑念をいだかざるをえない。

(二)  原告今川関係

1 欠勤について

原告今川が三日間の欠勤をしたことは被告主張のとおりであるが、前述のような他の同僚との比較からいえば、欠勤日数としてとくに多いともいえず、その欠勤の理由および事前の届出をしていたことにかんがみ、別段責められるに当たらず、そもそも解雇理由に価いしない。

2 下校時刻前の下校について

(1) 原告今川が所定の下校時刻である午後四時より早く下校することの多かつたことは、被告主張のとおりである。

(2) しかしながら、<証拠>によれば、国士館高校においては、右原告以外にも多くの教諭が、授業その他の校務が終了すれば、午後四時前でも下校していたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

そうすれば、国士館高校においては、下校時刻を午後四時とする定めにもかかわらず、当日の校務をすべて終了すればそれ以前でも下校するということが半ば慣習化していたものとみられる。そして、原告今川も前記認定のとおり当日の校務をすべて終了してから下校していたもので、なすべき職務を怠つていたわけではなく、また、後記のとおり被告が下校時刻を遵守するよう注意を与えていたと認めるに足りる証拠のないことにかんがみれば、同原告が所定の下校時刻前に下校していたことも、いまだ解雇理由とするに価いしない。

3 下校時のタイムレコーダーの無打刻

原告桑田の項で述べたようなタイムレコーダーの用途・性格ならびに被告がその打刻に厳格でなかつたことにかんがみれば、原告今川が下校時にわずか八日しか打刻しなかつたことは、義務不履行のそしりを免れないにしても、いまだこれをもつて解雇に価するほど重大な義務不履行ということはできない。

4 まとめ

以上のとおりであるから、被告の主張する原告今川の解雇理由は、その一つ一つをとればもちろんのこと、それらを総合しても解雇理由としてはきわめて薄弱であり、ほとんどなんらの理由もなく解雇したにひとしいものというべきである。

被告は、朝礼の席上注意を与えたにもかかわらず、原告今川はこれに従わなかつた旨強調するが、右主張にそう各証拠が措信できず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠のないことは、原告桑田の項で述べたとおりである。

このようにみてくると、被告の主張する原告今川の解雇理由も、これに藉口し、真の解雇理由を隠ぺいするための口実にすぎないのではないかと思われてくる。

三真の解雇理由は何か

原告らは、本件解雇の真の理由は、原告らが学校運営の民主化等のために活動したことを被告が嫌悪したことにある旨主張するので、つぎに右の点について検討する。

(一)  <証拠>によれば、つぎの事実が認められ、<証拠判断省略>。

1 被告法人においては、代表者である柴田徳次郎は、被告法人の創立者であり代表者でもあつたところから、かねてより学校運営に独裁的ふるまいが多く、また、教職員の労働条件も給与体系も明らかでないなど不明確な点が多かつた。

2 昭和四〇年四月上、中旬ころ、右のような労働条件の不明確に疑問をもつた原告今川ら同年度の新任教諭約一〇名は、三回にわたり高杉校長代理・山本教頭らに面談し、(イ)辞令の交付、(ロ)給与関係の明確化、(ハ)明文化された服務規定の提示を要求したが、被告のいれるところとならなかつた。

3 その後、同じく国士館高校における学校運営方法や労働条件の不明確に疑問をもつていた原告桑田は、原告今川と知り合い、校外で会合をもち、学校運営の民主化・労働条件の明確化などについて話し合つた。

4 そして、右話合いの結果、被告との交渉の足掛かりとして、丁度時期を迎えた夏期手当の問題を取り上げることとし、原告らが中心となり、昭和四〇年度の新任教諭約二〇名が同年六月上旬ころ高杉校長代理と会談し、夏期手当を支給する意思があるかなど被告の意向をただした。

5 他方、被告の設置する国士館大学においても、昭和三九年に発生した三上弘之・佐藤嘉祐・佐藤英夫の三教授解雇事件を契機として、被告代表者柴田徳次郎の独裁的な学校運営などに批判的な鹿島宗二郎教授が中心となつて、教授会の構成員が自由に話し合うための場としての親睦会がもたれるに至り、昭和四〇年六月六日に第一回の、同年七月一〇日に第二回の会合が開かれ、学校運営方法の改善・教員の身分の安定・待遇改善などが話し合われた。

なお、右のような親睦会活動を察知した被告代表者柴田徳次郎は、同年六月六日の第一回会合の直後および同年七月一〇日の第二回会合の直前、二回にわたり鹿島宗二郎に対し、第二回会合を中止するよう迫つた。

6 同年八月二八日、原告桑田は、ある同僚から鹿島宗二郎がまとめた右第二回親睦会についての報告書を示され、国士館大学における親睦会活動の存在を知つた。

7 そこで、同年九月一五日ころ、原告桑田が鹿島宗二郎と会い、話し合つた結果、双方の活動が同じ目的を目ざすものであるところから、原告らが親睦会に合流し、以後両者が協力して学園の改善等に努力することが確認された。

8 原告らは、同年一〇月下旬ころ、右親睦会活動の一環として、教職員の身分安定・給与体系および期末手当制度に関するアンケート用紙を国士館大学および同高校の全教職員に配布し、回答を求めた。

9 その直後の同月二八日、被告代表者柴田徳次郎は、その自宅に原告桑田を呼び、同原告の生活状況などを聞き、国士館高校においては期末手当が支給されないためテレビ・電気洗たく機などの耐久消費財の買押えができない旨の同原告の答えに対し、「それでは、月月もう七〜八、〇〇〇円あげればなんとかなりますかね。」という個人的な昇給提案とも受け取れる発言をした。これに対して、同原告は、個人的な昇給を固辞し、全教職員への期末手当の支給を求めて、会談は終わつた。別れぎわに、柴田は、わたしは団体でものをいわれるのが非常にいやなので、意見があつたら直接同人のところへいいに来るよう述べた。

10 同年一一月六日、原告らも出席して第三回の親睦会が開かれた。そこでは、教職員の身分を保障すること、給与体系を確立すること、期末手当の支給を求めることなどが話題とされた。

11 翌七日、被告代表者柴田徳次郎は、鹿島宗二郎を呼び、親睦会の活動を公認すること、次回に開かれる忘年会を兼ねた親睦会の費用の一部を負担すること、年末手当として給料一か月分を支給することを伝えた。

12 このように親睦会活動が被告によつて公認されたため、同月二六日開催予定の第四回親睦会の案内状には、国士館大学からは鹿島宗二郎の誘いにより各学部のおもだつた教授六名が、国士館高校からは原告桑田の依頼により古参の武田信盛・斉藤浩三両教諭が、鹿島宗二郎および原告桑田と並んで、世話人として名を連ねた。

13 ところが、右第四回親睦会の開かれる前日の同月二五日になつて、被告代表者柴田徳次郎は、前記態度をひるがえし、前記案内状に世話人として名を連ねた国士館大学の各教授に対し、電話または口頭で、「親睦会に出席するな。」、「出席するものはくびだ。」といつて脅迫するとともに、同じく世話人として名を連ねた国士館高校の武田・斉藤両教諭と原告桑田とを個別に呼びつけ、親睦会を中止するよう強要した。武田・斉藤両教諭は原告桑田に頼まれて世話人として名を連ねただけであると弁明してその場を切り抜けたが、同原告は右柴田の親睦会開催中止要求を強く拒否した。

14 同月二六日の朝、国士館高校の教諭朝礼の席に、同日は金曜日であるから通常なら出席するはずのない被告代表者柴田徳次郎が現われ、同日開催予定の親睦会の前記案内状を片手に持つて示しながら、「こんな不届きなことをたくらんでいるやつがいる。斉藤と武田は注意したらすぐあやまつたが、桑田はわしのいうことをきこうとしない。親睦会はわしが許可しない。参加するやつはくびだ。桑田からはクラス担任を取り上げる。桑田は、先日わしのところへ来て、生活が苦しいなどというから、七、〇〇〇円上げてやる約束をしたが、それは取消しだ。」などと発言して退席した。

15 同日午後三時ころ、被告代表者柴田徳次郎は、原告今川を自室に呼び、いきなり、校風に合わないから辞めてもらうことにしたといつて辞表の提出を求め、さらに、具体的な理由の説明を求める同原告に対し、「あなたは桑田との黒いもやもやに関係があるというではないか。」、「桑田は悪いやつだ。あなたは桑田にだまされているのです。」、「親睦会に出ようとしたことはいけないことです。」、「とにかくあなたには辞めてもらいます。」と述べた。

右と同時に、右高校の堀内保丸・林成嵩・牧正行の三教諭も右柴田から解雇を申し渡されたが、いずれも前記4記載の高杉校長代理との夏期手当の支給などをめぐる会談に出席し、原告らとともに積極的に発言した者たちであつた。

16 同年一一月二六日夕刻から開かれた第四回親睦会には、当初約四〇名の出席が予定されていたにもかかわらず、被告代表者柴田徳次郎の右のような態度急変によつてか、実際に集まつたのは、鹿島宗二郎・原告桑田ら約一三名にとどまつた。右原告は、世話人を勤めていたところから、親睦会開始予定時刻の午後五時より約一時間早く、午後四時ころに会場に到着し、待機していた。

17 翌二七日朝、原告桑田が平常どおり登校すると、教諭朝礼の席に、同日が土曜日であるところから通常なら出席しないはずの被告代表者柴田徳次郎が前日につづいてふたたび現われ、右原告に対し、「あれほど注意したにもかかわらず、お前はきのう親睦会に出た。しかも、始まる時間より三〇分も早く会場に行つていた。」などといい、解雇する旨を告げた。

18 その後の昭和四一年二月一〇日、親睦会活動の実質的中心人物であつた鹿島宗二郎も被告代表者柴田徳次郎から解雇を通告された。

(二)  以上認定のような諸事情、ことに被告代表者柴田徳次郎の言動、たとえば、(イ)昭和四〇年一〇月二八日被告の主張によれば勤務成績不良の原告桑田に対し昇給をほのめかし、(ロ)いつたん親睦会活動を公認しながら、それが公然と活動を始めるや、直前になつてその開催中止を強要し、(ハ)原告桑田および同今川に対ずる解雇の告知に当たつて、親睦会に出席しあるいは出席しようとしたことが解雇の理由であるかのように言明している事実などにかんがみ、かつ、前述のように原告らに対する被告主張の解雇理由が解雇理由としてきわめて薄弱なことを合わせ考えれば、原告らの真の解雇理由は、原告らが親睦会活動に関与したことを被告が嫌悪したとともに、右活動に打撃を与えることをねらいとしたものであると推認するのが相当である。そして、本件解雇の真の理由が右のようなものであるとすれば、かかる解雇の意思表示が解雇権の濫用というべきはこれ以上多言を要しない。

四解雇承諾の有無

被告は、原告らが解雇予告手当の弁済のための供託金を受領したことをもつて、本件解雇を承諾したものである旨主張するので、つぎにこの点について検討する。

(一)  本件解雇の直後原告らが被告から解雇予告手当を受領しなかつたこと、被告が昭和四〇年一二月八日原告らそれぞれにつき解雇予告手当を含む金額を弁済供託したこと、原告らが被告に対し右供託金を給料として受領する旨の意思表示をしたうえ、昭和四一年一月二五日ころ右供託金の還付を受けたことは、当事者間に争いがない。

(二)  このように原告らが右供託金を解雇予告手当としてではなく給料として受領する旨の意思を明確にしている以上、被告主張の「解雇承諾」の趣旨は必ずしも明らかでないが、右供託金の還付を受けたことをもつて、原告らが本件解雇の意思表示に同意したとか、みずから合意解約(任意退職)の意思表示をしたものと解することはできない。被告主張のその他の諸事情は右判断を覆すに足りない。

(三)  したがつて、被告の解雇承諾の主張は理由がない。

五むすび

以上の次第であるから、被告が昭和四〇年一一月二六日原告らに対してした解雇の意思表示は解雇権の濫用によるものとして無効というべく、したがつて、原告らと被告との雇傭契約はなお存続するというべきである。

第四結論

よつて、原告らが被告に対し雇傭契約上の権利を有することの確認を求める本訴請求は理由あるものとして認容することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(石井健吾)

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